日本航空350便墜落事故
- 2015/03/27
- 00:45
日本航空350便墜落事故(にほんこうくう350びんついらくじこ)は、
1982年2月9日、当時の日本航空、福岡発東京行350便、
DC-8-61型機(機体番号JA8061)が羽田空港沖に墜落した事故である。
一般的に日航羽田沖墜落事故、羽田沖事故、日航逆噴射事故と呼ばれる。
事故を起こした350便は、9分遅れの午前7時34分に福岡空港を離陸した。その後、
フライトプランに沿って順調に飛行し、8時35分には羽田空港への着陸許可を受け車輪、
フラップをおろして着陸準備に入った。
高度200フィート(約61メートル)までは順調であったがその直後の8時44分1秒、
機長は自動操縦装置を切ると、突如として操縦桿を前に倒し、
機首を下げながらエンジンの推力を絞る操作と、エンジン4基のうち2基の
逆噴射装置を作動させる操作を行ったため、機体は前のめりになって降下し始めた。
エンジン音の異変に気付いた航空機関士が「パワー・ロー」と叫んで推力を戻し、
副操縦士が操縦桿を引き上げたが、8時44分7秒、対地接近警報装置(GPWS)の警告音
「Glideslope!」がコックピットに鳴り響くなか、滑走路手前の海上にある誘導灯に
車輪を引っ掛けながら滑走路直前の浅い海面に機首から墜落した。
機体は機首と機体後部で真っ二つになったが、墜落現場が浅瀬だったため機体の沈没は免れた。
この墜落により乗客・乗員24名が死亡、149名が重軽傷を負った。
この事故の直接の原因は機長の操縦によるものである。
機長が機体の推力を急激に減少させながら機首下げを行ったため、
機体は急に下降して滑走路の手前に墜落した。
機長は、まだ副操縦士であったこの事故の6年前に初めて幻覚を見、
それ以後、初期の精神分裂病、うつ状態、心身症などと診断をうけ、
聖マリアンナ医大病院の医師、会社の常勤内科医、非常勤精神科医らの診察、
治療を受けたが改善せず、事故直前には
「ソ連が日本を破壊させるために、二派に日本を分断し、血なまぐさい戦闘をさせているんだ」
などの強い信念を抱くまでに至っていた。
事故当日の350便の乗務中には、ついには「敵に捕まって残忍な方法で殺されるよりも、
自分から先に死んだほうがマシだ」という妄想を抱くに至り、
しばらく恐怖に震えた後に現実に戻る、という精神状態にあった。
ホテルニュージャパン火災の翌日であり、
東京消防庁は対応に追われている中であったが、特別救助隊や消防艇を出して救助活動にあたった。
〔wikiリンク〕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA350%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
〔関連・参考動画〕
〔関連記事〕
ホテルニュージャパン火災
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3%E7%81%AB%E7%81%BD
1982年2月9日、当時の日本航空、福岡発東京行350便、
DC-8-61型機(機体番号JA8061)が羽田空港沖に墜落した事故である。
一般的に日航羽田沖墜落事故、羽田沖事故、日航逆噴射事故と呼ばれる。
事故を起こした350便は、9分遅れの午前7時34分に福岡空港を離陸した。その後、
フライトプランに沿って順調に飛行し、8時35分には羽田空港への着陸許可を受け車輪、
フラップをおろして着陸準備に入った。
高度200フィート(約61メートル)までは順調であったがその直後の8時44分1秒、
機長は自動操縦装置を切ると、突如として操縦桿を前に倒し、
機首を下げながらエンジンの推力を絞る操作と、エンジン4基のうち2基の
逆噴射装置を作動させる操作を行ったため、機体は前のめりになって降下し始めた。
エンジン音の異変に気付いた航空機関士が「パワー・ロー」と叫んで推力を戻し、
副操縦士が操縦桿を引き上げたが、8時44分7秒、対地接近警報装置(GPWS)の警告音
「Glideslope!」がコックピットに鳴り響くなか、滑走路手前の海上にある誘導灯に
車輪を引っ掛けながら滑走路直前の浅い海面に機首から墜落した。
機体は機首と機体後部で真っ二つになったが、墜落現場が浅瀬だったため機体の沈没は免れた。
この墜落により乗客・乗員24名が死亡、149名が重軽傷を負った。
この事故の直接の原因は機長の操縦によるものである。
機長が機体の推力を急激に減少させながら機首下げを行ったため、
機体は急に下降して滑走路の手前に墜落した。
機長は、まだ副操縦士であったこの事故の6年前に初めて幻覚を見、
それ以後、初期の精神分裂病、うつ状態、心身症などと診断をうけ、
聖マリアンナ医大病院の医師、会社の常勤内科医、非常勤精神科医らの診察、
治療を受けたが改善せず、事故直前には
「ソ連が日本を破壊させるために、二派に日本を分断し、血なまぐさい戦闘をさせているんだ」
などの強い信念を抱くまでに至っていた。
事故当日の350便の乗務中には、ついには「敵に捕まって残忍な方法で殺されるよりも、
自分から先に死んだほうがマシだ」という妄想を抱くに至り、
しばらく恐怖に震えた後に現実に戻る、という精神状態にあった。
ホテルニュージャパン火災の翌日であり、
東京消防庁は対応に追われている中であったが、特別救助隊や消防艇を出して救助活動にあたった。
〔wikiリンク〕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA350%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
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